武蔵野ゴルフ
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第4回 スターはスリム
2006.07.22
毎年身体の線があらわになる夏に向かうと「ぜい肉を落とさなくては」と思う人は多い。
しかし、なかなか一朝一夕にはいかない。余程の決断がなければ、そしてその思いを維持して頑張らないと、目的は達成できない。
強く固い意志を持てる余程のことがない限り、自分を変えると言うことはとても難しい。
その難しいことを見事にこなし大変身をした人がいる。
かつて米国ツアーの帝王と言われたジャック・ニクラウスである。
デビューした頃のニクラウスは太めで、人気のアーノルド・パーマーに対して悪役ニクラウスの感があった。写真は1968年当時の肉づきのよいニクラウスと1974年の精かんな顔立ちに変身したニクラウスである。どちらにスター性があるかは一目瞭然だと思う。
ニクラウスは1962年のプロ入りで、その当時からトッププレーヤーとして活躍していた。強いプレーヤーとして認められてはいたが、人気の面では誰からも親しまれ愛されていたアーノルド・パーマーの方が上だった。

「月刊 アサヒゴルフ1974年7月号」
「月刊 ゴルフリポーター1968年1月号」より
スリムに変身したニクラウスは強くて魅力あるスターとして絶対的な人気を得るようになり、帝王ニクラウスと称された。1960年代から80年代にわたりメジャーで18勝をあげ圧倒的な強さを示し、その強さと金髪からゴールデン・ベア(金色クマさん)のトレードマークで親しまれた。
しかしこのトレードマーク、68年にはすでにキャップに刺繍されているので、デビュー当時からのものかもしれない。体格の良いゆったりしたクマは当時のニクラウスのイメージにぴったりだったのだろう。変身後は王者としてのニクラウスのイメージに堂々たるクマが重なってきた。
1996年にマスターズを見に行った時のニクラウスの印象は、かつての輝くような堂々たる金色クマさんではなく、一回り小さくなった優しい金色クマさんになっていた。そして6回の優勝を飾ったマスターズへの出場は、2005年を最後に引退した。
左からジャック・ニクラウス、三木鮎朗、桝井(筆者)、トム・ワイスコフ、通訳
またニクラウスはプレーの傍らビジネスの方でも手腕を発揮していた。
写真は70年代後半だったと思うが、マグレガー社との仕事で来日した時のものである。追い上げ、巻き返しのすごさから恐怖のトムと言われた、トム・ワイスコフも一緒に写っている。私はマグレガーのクラブ使用契約プロとして出席させてもらったが、今思えばとても貴重な写真である。
 
次回更新予定:2006年7月29日

第3回 おへそ出してナイスショット 2006.07.15
第2回 流行 ~はやり~ 2006.07.08
第1回 桝井映里ご挨拶 2006.07.01
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