現在日本には2000を越えるゴルフ場がある。その中で素晴らしいと言われるコースはいくつもある。しかし、その素晴らしいコース全てが名門コースと言うわけではない。 では名門コースと言われているコース、一体何が名門と言わしめているのだろうか。
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イギリスのチャールズ・ヒュー・アリソン設計の広野GC 左に見えるのはゴルフミュージアム 写真提供:ゴルフレヴュー
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単にコースが良いだけでも、歴史が古いだけでもない。それらは条件の一つではあっても、決定的なものはではない。 その決定的な要素とはコースの氏育ち、ゴルフクラブのDNAではないか。 クラブ立ち上げ当初の先人達の思いやポリシー、そしてそれらを脈々と受け継ぎ育てていく後のメンバー達の姿勢にあると言える。
名門コースは敷居が高く閉鎖的であるとよく言われるが、全ての名門がそう言うわけではない。しかし、当初の成り立ちからみて「同好の志が出資し合い自分たちが楽しめるコースを造ろう」とスタートしたもので、元々プライベートな閉鎖的な形態なのである。 従ってメンバー以外はメンバーのゲストとしてプレーすることになる。 クラブ内の決め事や運営の仕方などはコース独自のものであり、そこに集う会員が居心地よく過ごせるよう運営されている。運営費が足りなければ、会員が補うこともある。
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JGA創立に中心的な役割をはたした大谷光明(右から2人目)
写真提供:JGA「70年史」より
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日本のゴルフは、英国人アーサー・H・グルームにより六甲山に造られた4ホールに始まるが、日本人の手による組織立ったゴルフの始まりは有志30人の出資で設立された東京ゴルフ倶楽部(大正2年)である。 (それまでに造られたゴルフ場は外国人専用のコースであった) ゴルフ倶楽部設立時、ゴルフは技術よりむしろ健康に良いこと、フェアプレー精神が養えること、紳士の社交機関に有益であることなど挙げていた。
また東京ゴルフ倶楽部の役員でもあり、トップアマチュアとしても活躍していた大谷光明※は日本のゴルフをきちんと定着させようと英国に渡りクラブ組織、規則、競技の運営、コース設計の分野まで学んでいる。
※京都西本願寺第21代門主の三男、1907年22歳で英国留学しゴルフに出会う
ゴルフが面白くて仕方がないと思っているゴルファー達が、彼らの遊びに終わることなくきちんとした基盤作りに奔走した姿勢とポリシーは、誇るべき歴史である。当時海外でゴルフを覚えて帰国した人達や財界人によりゴルフは瞬く間に広まって行った。 軽井沢にある名門、軽井沢ゴルフ倶楽部(大正9年)は今年で87年になるが、その60年史の序文に「倶楽部にはその倶楽部独自の風格があってしかるべきで、コースやハウスにおいて我々の挙措、動作がその風格を作りあげることになる」とあった。 会員一人一人の意識がいかに大切であるか再認識させられる一節であった。
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昭和57年に発行された60年史の表紙 のどかなワンバッグのプレー |
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